第3部

第1部、第2部では社会と共創する熟達の定義や前提になっている考えに触れ、第2部では実際に社会と共創する熟達を歩もうとするときの取り組みについて説明してきました。この第3部では、それらを踏まえて上で、社会と共創する熟達の実践例を載せています。

第3部:起業家実践

前半は「第3部:起業家実践」と題し、フェーズや性格の異なる3名の起業家から語られた実践と葛藤のエピソードを掲載しています。読者のみなさんが今まさに経験している葛藤に対する学びや、これから遭遇するかもしれない困難をイメージするきっかけとなれば幸いです。会社や事業のフェーズの違いもありますが、それぞれの起業家が持つ個性によっても違うカラーをもった文章になっていますので、その違いもお楽しみください。また、これらのストーリーから拾える学び・考察を補助線として提示していますので、参考としてご覧ください。

アグリメディア社 諸藤貴志CEO

2011年にアグリメディアを創業した諸藤貴志氏(以下、諸藤)。起業から10年という時の中で、諸藤自身、そして周囲の環境に起きた変化とその葛藤のストーリーを追っていきます。

アグリメディア社HP: https://agrimedia.jp/

現在の諸藤は、自分自身の自我を、実直さに強みがあるが人巻き込みが苦手と捉え、「互いに支え合うことで後悔のない充実感のある人生を共創する」というライフミッションのもとに歩んでいます。(2021年10月時点)

アグリメディア社は、この10年で売上17億、社員約90名をを抱える組織に成長。次世代の農業の課題を解決すべく「ステークホルダーとの共創」という観点からアプローチすることで、農地活用、流通、農業HR、経営支援の4つの領域で複数事業を展開しています。また同時に上場を目指し社内整備にも取り組んでいます。

もちろん、今にいたるまでに様々な困難と葛藤がありました。

【考察キーワード】
#内省 #問題意識の矢印 #社会と共創するマスタリー #PBF

内省の重要性に気づく

諸藤とReapraとの出会いは、約4年前にさかのぼります。この出会いの中での体験が諸藤の自我を変容させるひとつのきっかけとなったのでした。Reapraからの投資を受け始めてすぐに、諸藤はReapraメンバーと対話をするためにシンガポールへ渡航します。ここでの3日間は、人生の中で初めて立ち止まり、自分の過去を振り返りながら、自分自身が目指すミッション・ビジョンについて考える時間になりました。この経験を通して、諸藤は内省の重要性に気づいていきます。

諸藤は当時を振り返りこう語ります。「考えてみれば自分自身、これまで深く過去を振り返るという経験はしてきませんでした。過去の反省を未来に活かすための「内省」が著しく欠けているがゆえに、自己を変容させることができないし、組織を上手くマネジメントできないのではないかと感じました。」そして、その結果事業も思うように成長させることができないのだと気づいたのでした。


考察①

ここでいう内省は、Reapraにおいて「矢印が自分に向いている状態」と表現することが多いです。事業の売り上げが落ちるなど何か外部で上手くいかないことがあったときに、自分自身にどこか原因があるのではないかと立ち返ってくる状態を指します。自分の思い通りに進まないとき、皆さんはどうしますか?会社の方針や部下のせいなど自分ではなく自分の外に矢印を向けることも往々にしてあると思います。しかし、矢印を自分の外に向けたくなった時にあえて自分自身に問題意識を向けることが重要になってくるのです。社会と共創しながら複雑な市場※1において新産業を創出していくためには、起業家CEO自身がしなやかに自分自身を変えていくことが必要です。なぜならReapraでは、自己を変えることによって捉えられる複雑性が増し、自分の見える範囲 (Reapraではユニバースともいう) を拡大し続けることができると考えているからです。

※1 Reapraではこのような『具体的に述べると複雑性故にまだ規模としては小さいが、次世代に跨ぐ大きな社会課題を有しており、株式会社アプローチが有効で唯一無二のマーケットリーダを目指し得ると信じられる領域。"社会と共創するマスタリー"を目指す起業家にとって望ましいとReapraが考える事業領域。』のことをPBFと呼んでいます。


内省と当時の葛藤

内省の重要さに気づいてから諸藤は振り返りをする癖を付けようとしました。シンガポールでの内省をドキュメントとして整理して節々で思い出したり、Reapraの支援を利用して強制的に振り返りをする時間を作ることで仕組みとして落とし込んだりもしてみました。内省し続けられるような環境を、試行錯誤しながら作り上げようとしていました。

しかし同時に、諸藤の中では内省をすることへの抵抗も感じていました。というのも、諸藤はもともと早く結果を出すことに重心があり、それゆえ物事が上手くいかなければすぐに環境を変えてしまうという癖がありました。その上、何かに行き詰まった時には環境を変えることで成功してきたという経験もあったのです。そんな諸藤にとって、直接的に効果の見えにくい振り返りをすることは「やってもすぐに成果がでない、本当に意味があるのだろうか」という葛藤が続いていました。内省を続ける意味を見失いそうになることもあったそうです。

それでも諸藤が内省に向き合い続けた理由のひとつに環境が果たした役割がありました。当時、事業自体が上手く前に進んでいなかったのです。また、人が増え、組織の規模が大きくなっていく中で、組織全体の一体感が薄れ始めていました。他者と何かに一緒に取り組むことに喜びを感じる諸藤にとっては、組織の中の一体感の薄まりは苦しいものでした。事業も組織もすべてが上手くいっていないという環境からのプレッシャーは諸藤にとって内省をする原動力となりました。

ここでなぜ諸藤は自分自身に矢印を向けられたのか疑問に思う方もいらっしゃるでしょう。その理由は他者からの声でした。もともと諸藤には、何か良くないことが起こったときに、立ち止まってその事象に取り組むのではなく、環境を変えてしまうことで新しいアプローチを探しにいく、という癖がありました。それを回避するためにあえて他者からフィードバックを受ける仕組みを作っていたのです。1on1や360度評価制度などで事業関係者との対話をする環境ができていました。その対話のなかで、事業や組織が上手くいっていない一因に、諸藤自身にも問題があると他者からフィードバックを受けていたのです。そのような環境から諸藤は自分自身と向き合っていくことができたのだと振り返っています。

現在も諸藤は、日々振り返りをすることを意識して取り組んでいます。


考察②

ここで注目したいのが、自我課題と向き合うための環境設定です。諸藤は自分自身に、物事が上手くいかないときに環境を変えてしまう癖、状況を楽観的に捉えすぎる癖があることを自覚していました。その癖によって、自己にとって嫌だなと思うことを小さく実践することや、学びたくないと感じるようなことを学ぶこと、諸藤で言えば環境を変えるのではなく問題のある事象を立ち止まって見つめ直すことを無意識的に回避していたと言えるでしょう。しかし、自分の見たいものしか見ず、その時々の自己にとって心地よいことだけを実践し、学びたいものを学んでいくことは、ユニバースを拡大することにつながりません。それを理解していた諸藤は、自ら他者からフィードバックをもらえる仕組み、他者と対話する仕組みを作ることによって自身の課題に向き合おうとしたと捉えられます。諸藤のように、自分の癖を理解することで自分自身のブラインドスプットを環境設定という手段で減らしていくことができると考えています。


内省からの変容、共創へ

振り返りをすることで諸藤自身に変容が起こり始めていました。諸藤が内省を通して気づいたことは共創を意識することの重要性でした。ここで諸藤が「共創」の中でも、自らにとって重要なのポイントとしていたのは「信じて任せる」ということと考えました。

これまで諸藤は信頼して任せることに不慣れでした。また、他者に頼ったことでの成功体験がほとんどありませんでした。それがゆえに、人に頼ったり任せたりすることがなかったのです。そのことが事業にも組織にも負の影響を与えていると気づいたのです。

しかし任せたいという思いはありつつもすぐに上手く任せることはできませんでした。逆に、任せたいという気持ちが大きくなりすぎて空回りしていました。徐々に任せていかなければということで、権限移譲なども進めていきましたが、今振り返るとその渡し方はあまりにも乱暴なものでした。その結果、諸藤を含め周囲の人にストレスがかかり、事業も組織も停滞しました。

諸藤は、過去の経験を以下のように振り返っています。

「自分の『新しいことにチャレンジしていくことが好き』という特性がある中で、『人に任せる』ということを自分にとって都合の良い形で解釈してしまっていました。もう少し丁寧に、『任せる』ということができたはずなのに、権限委譲することにこだわりを持ちすぎてしまったことで乱暴に仕事をふる形になってしまいました。」

現在は、極力関係者と一緒に全体の方向性を決め、事業の具体な運営は任せてやってもらっているそうです。もちろん、「もっとこうしたらいいのに」という葛藤はあります。得意な分野であればあるほど気になってしまいます。でも、自分の時間も限られており、自らの能力や特性も客観的に見ると、一定任せていくほうがうまくいくと考えています。

これらの自我と環境の相互作用を通し、諸藤の中での「共創」の定義は変化していきました。もともとは、その人を導いたりガイドするという意味で使っていた「共創」という言葉は「信じて任せる」という定義に変わっていきました。自分自身がリーダーとしてチームを引っ張るというより、他者の考えを咀嚼し調整することを意識しています。はじめの内は上手くいきませんでしたが、内省と実践を繰り返す中で徐々に諸藤自身の変容がすすみ、今では事業の成果として少しずつ現れ始めています。

共創というテーマについて、今思うこと

「共創」というテーマの重要性が諸藤個人の中で強くなってきています。その中で改めて、自身の率いる会社の特徴(環境)と重ね合わせてみた時に、会社にとっても「共創」というテーマと向き合っていくことが重要であることに気づき始めました。

諸藤が向き合っている農業という事業領域は、国の関与が大きい産業です。行政だけでなく、環境問題や地域経済といった領域との関係も深いです。つまり、領域の特性上ステークホルダーが多く、他者との共創なしにはやっていけないビジネスであるといえます。言い換えれば、共創することで物凄い力を発揮する産業でもあるのです。ステークホルダーと良い形で関わりを持っていくこと自体が会社が提供できる付加価値を高め、武器になると諸藤は考えています。

また、ワンプロダクトでなく、多数のプロダクトを扱っているという会社の特徴をみた時にも、社内での共創の重要性が見えてくることでしょう。あるプロダクトを通じて得た学びを、他のプロダクトをうみだしていく時に転用できることが望ましいです。社内にある知見や意見をしっかり活かしていくためにも、チーム同士の共創が重要になってくるというのです。

今は、組織としても、共創がうまれやすい仕組みづくりを意識しています。

新規事業にチャレンジする時には、事業の方向性やアプローチを全社員に告知することで、少しでも他の部署からでも意見が取り入れられるようにできないかと考えています。全社での半年に1回のミーティングで、今後当社がやるべき事業をテーマに全員で意見を出す場があった際に、社員が期待以上に積極的に意見を出してくれたことに、諸藤は驚きました。

「このような場があれば、実は熱意を持って意見を出してくれる人は多いのかも。」

「今まで自分自身がトップダウンに物事を進めようとすることによって、共創できないような環境を作ってしまっていたのかもしれない。」などの発見もありました。

もともと、会社のミッション・ビジョンに掲げられていた「共創」というテーマ。今では自分のありたい姿とより重なりが見えており、以前と比べて自分の中での腹落ちしている感覚があります。全社に対して、自分自身も「共創」というテーマと向き合っていると宣言することによって向き合わざるを得ないような環境を作っています。自身の自我課題と向き合うための環境を、自分自身で整えにいっています。


考察③

社会と共創するマスタリーの第一歩は、まず自分自身を知ることです。ここでいう自分を知るとは、自身がこれまでの人生の中でどのような変遷を経て現在があるかを深く理解することであり、自らの根底にある価値観を形成するきっかけや、そこから生じたバイアス、および囚われの裏にあった願いのことを指します。Reapraでは自分自身を知る手段としてFDを行っています。諸藤の場合はFDを踏まえ、会社のビジョン・ミッション・バリューの見直しを行っていました。この文章によくでてくる「共創」という言葉ですが、これは諸藤自身のライフミッション「互いに支え合うことで後悔のない充実感のある人生を共創する」であると同時に、会社のミッション、ビジョンを達成するためのバリューの1つでもあります。社会と共創するマスタリーは環境から強制・期待されるものではなく、自らが持続的幸福、自己統制感、社会への貢献を獲得するために歩むものです。諸藤は内発的な動機に基づき、自分自身と社会のつながりを見いだすことが出来ているという点で環境と自我の相互作用を上手く活用することが出来ていると言えるのではないでしょうか。

また、このミッション・ビジョン・バリューについては、はじめからこの形ではなかったそうです。実践を通じて、常に変化していくものであり、これは諸藤自身が実践と定期的な振り返りを繰り返していたからこそだと考えます。


ありたい姿

自分の周りに仲間がいて、その周囲の人たちと一緒に後悔なくいろいろなことをやってきたと思えている状態。それが諸藤の求める未来です。

このありたい姿に行き着くためには、これからも変容し続けなければなりません。共創というテーマのもと、自分自身をさらに変化させることができれば、事業も組織も良い方向に進んでいくということを信じています。

ITecMarin社 石川CEO

2019年10月にITecMarin社を創業した石川CEO(以下、石川)の起業ストーリーを追っていきます。ITecMarin社は福岡を拠点に、「人・技術とテクノロジーのしなやかな融合により魅力的な海運業界を創造する」というミッションを掲げ、海運業界に変化を起そうと奮闘しています。

ITecMarin社HP

ITecMarin社のフェーズとしては、First Biz devの段階で商材の作り込みと探索を共に回し、より強い事業・組織づくりに注力している状態です。(2021年10月時点)
このコラムでは、石川の根っこにある『らしさ』の起源から、今の『らしさ』が形成されるまで、時間の流れのなかでどのように変化してきたのか。また、未来の『らしさ』に向けてどのような変化の種があるかを、起業家としての日々の葛藤を切り口に石川のストーリーを紡いでいます。石川の過去から現在、未来への自我と環境の変遷を辿りつつReapra概念についても理解を深めてただけると幸いです。

【考察キーワード】
#らしさの活用#環境と自我の相互作用#自己向き合い#人向き合い#自我に向き合う環境#強化学習#伴走者の必要性#CEOの体現性#らしさの変化#自己変容

石川の『らしさ』「職人気質と創造」そして起業への道

「職人気質と創造」という石川のらしさの起源は幼少期に遡ります。石川の父親は日曜大工で椅子を作ったり、絵を描いたりと自分自身で何かを作り上げていくのが好きでした。父親が制作した作品が生活の至る所にあったことから、「何かをつくりあげる」ことが身近な環境にありました。父親の背中を見ながら、見よう見まねで廃材や小道具をいじっていたと言います。その甲斐あってか、幼稚園の図工の自由制作で、お菓子の箱とゴムを使って紙製のギターを作り、先生から褒められたこともありました。自分自身が手を動かして何かをつくりあげる「職人技術」と「創造」の面白さを幼少期から体感しました。 実際にそれを生業とすることへの憧れはこの頃からありました。

成長するにつれ「自分は周りと協調することや、細かいルールに従うことが苦手だ。実は社会不適合者なのかもしれず、誰かに雇われてサラリーマンとしてずっと生きていくのは難しそうだ。」という感覚を抱き始めました。既存の枠組みに囚われるのではなく「自分にしかできない価値創造を通じて生きていきたい」という思いが強くなっていったのです。石川はそのような自身の特性を踏まえ、いつか起業したいと考えるようになりました。しかし石川は学生時代研究の道と起業の道のあいだで揺れ、試す気持ちで研究を選択します。そこからしばらくは、研究に没頭しました。

研究では細胞生物学を専門に生き物の仕組みを解明しながら原理原則を学んでいきました。もともと生き物が好きだった石川ですが、細胞生物学を選んだ背景には父の死がありました。石川は父親を早くに亡くしており、人はどうせいなくなってしまうという想いから、人と深く関わることに恐怖を抱いていました。生き物はほどよい距離感を保てるから、満たされないつながりを埋める為の対象だったのです。

石川は幼少期から手を動かすのが好きだったこともあり、研究時代にその「職人気質」は一層磨きがかかります。しかし研究に没頭するなかで、手を動かすだけでは、新しい価値創造は難しいと実感するようになりました。

大学卒業後、石川はまずは社会で学んでから起業しようと考え商社へ就職しました。ここでの経験と彼のらしさの相互作用が石川を起業の道へ導くのでした。 石川は商社時代に海運業界における数々の課題、たとえば「船員の高齢化や採用難」「人が育たない」「高離職率」を目の当たりにします。その一方で船員の技術は石川の「職人気質」を大いに刺激しました。パイプを叩いて厚さを測る様子や異常検知を肌感覚で行う技術などが石川のらしさである職人気質と重なり、海運業界に対するリスペクトは日に日に増していきました。この職人に対するリスペクトと次の世代につなげていきたい想いから海運業界へ進みます。この領域で、既存の枠組みに適合するのではなく、自分にしか出せない価値創造をすることが石川の「創造」というらしさにも結びついたのです。

幼少期から今に至るまでに育まれた石川のらしさである「職人気質」と「創造」は、ITecMarin社のミッション「人・技術とテクノロジーのしなやかな融合により魅力的な海運業界を創造する」にも現れています。レガシー産業である海運業界で受け継がれる技術やそれを生み出す人を重んじる部分が「職人気質」に、次の世代に引き継ぐために新しいあり方ややり方をこれまでにない切り口で生み出す部分が「創造」につながるのです。

「新しい何かを創造することで、海運業界をもっと魅力的にしたいという想いが強く、そこにワクワク・不安・期待が付随するという感じでした。」起業当時の心象風景を石川はこのように振り返っています。


【考察1:起業家の『らしさ』を活かす】

幼少期から今に至るまで環境と自我の相互作用で育んできた‟らしさ”=職人気質と創造はミッションに変換され、強いエネルギー源となっている。石川の場合は早くに父親が他界したことで、人がいなくなってしまう、人とつながる恐怖を抱えていた。この恐怖は「人とつながりたい」という石川の深層心理では本当の願いとも言えるでしょう。本当の願いとは別の側面では今の自分が最も出来ていないことでもある。起業前は無意識に避けていたこの恐怖が、起業を機に一気に顕在化した。


海運業界への想いと事業内容

ITecMarin社は「人・技術とテクノロジーのしなやかな融合により魅力的な海運業界を創造する」をミッションに掲げており、石川は海運業界の重要性を強く主張しています。 海に囲まれた島国で資源が少ない日本にとって海運業界は生命線であり日本という国が生存し続けるには海運業界が不可欠です。海運業界は日本にとってのライフラインであり、これがないと輸出入は成り立たず私たちの生活も成り立たないのです。

現在の海運業界にはいくつかの課題があります。高齢化が進んでいる現状があったり、認知度が低く、離職率も高い。総合的に見ても、若者にとって魅力的な業界ではなくなってきています。つまり、課題は多くある業界ではありつつも、無くしてはいけない業界でもあります。IT化・自動化、働き方改革、環境の持続性というところに磨きをかけて、魅力的な業界にしていきたいというのが石川の方針です。
これらの課題を解決し持続可能な海運業界にするために、①IT化(自動運航・船内の業務自動化・船行最適化)、②働き方改革(長時間労働の削減・心身管理・ワークライフバランス)、③環境対策の責務(脱炭素への対応・海洋汚染・生物多様性)を事業ドメインに設定しています。
特に石川が重要視しているのは、人のサスティナビリティです。人の継続はひいては業界の継続につながると石川は確信しています。ここに、石川がミッションとして掲げている「人と技術」そして解決方法である「テクノロジー」のしなやかな融合が結びつくのです。

まずは現場の人に受け入れられること、関係者の協力を得ることを始めました。
そのためにFirst Biz devでは様々なことに取り組んでいます。海運業界に対する認知度が低いという課題に対しては、船員や船員志望者に向けYouTubeを通じて、船員の1日や海運業界の内情を発信するというメディア運営。「背中を見て学べ」とこれまで暗黙知となっていた技術の継承に対しては、原理原則を抽出した動画教育。そして海運業界の働き方改革のために現場の本音調査を実施・報告を行っています。

海運業界に変化を起こすには人のサステナビリティがキーです。業界を変えていくこと、それはすなわち今この業界で働く人とこれからこの業界で働く人と深く関わっていくことを意味します。しかし、「人はどうせいなくなってしまう、人とつながる恐怖」が幼少期から強くあった石川にとって事業を成長させるにはこの恐怖に向き合うことになります。


【考察2:本当の願いをミッションに変換する】

ITecmarin社のミッション:
「人・技術とテクノロジーのしなやかな融合により魅力的な海運業界を創造する」
起業当初は、環境と自我の相互作用から紡ぎだされたミッションに”人”のワードが含まれていなかった。環境の影響から今まで以上に自我を理解するプロセスを歩み、起業したのは人とつながりたかったのかもしれないと思いが過る。


起業後の葛藤 ~有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない~

石川は事業を成長させていくことに意気込んでいましたが、事業を進めるなかで多くの壁にぶつかります。それには、石川自身の思考の癖が大きく関係していました。
石川は幼少期から「人はどうせいなくなってしまう、人とつながる恐怖」があり、人とつながりを持つためには、「父親がいなかった自分は、周りと比べて足りない部分があるため、有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない」と思っていました。生い立ちの不足部分を埋めるために、外的な評価や実力で武装する必要があると思っていたのです。ゆえに相手にありのままの自分を開示していくことや弱みを見せることを避けていました。「弱みを出すことは人間関係構築において重要である。しかし、自分自身の弱みを曝け出してしまうと生きていけないという怖さがある。」石川の中で対立する思考から苦しみが生まれていた状態でした。このような思い込みが結果として、石川が深い人付き合いを避ける要因になっていました。
一方で「有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない」という思い込みは自分をより成長させなければ、高めていかなければと思わさせてくれたという意味では、様々な場面で石川の原動力にもなっていました。同時に「自分は欠陥だらけである」という思い込みも存在してました。
欠陥や弱さのある自分を曝け出すことに恐怖を感じていた石川にとって、起業後の日々はそんな自分に向き合う毎日でした。事業を進めていくにつれ、自分自身の限界や課題に向き合わざるを得ない状況に晒され始めました。

次の世代へと続く社会課題解決に向けたミッションに近づくためには、足元を固めることからはじめます。First Biz devの段階でサービスを創りながら営業活動をしていたため、営業活動には苦戦する日々が続きます。600社にテレアポをして、実際に会ってくれたのは20-30社程度でした。ようやく取り付けた面談でも、思うような反応を得られませんでした。「サービス内容が良く分からない」「説明が抽象的で何を言っているか分からない」というフィードバックを受け、面談の度に自分の営業力の低さやサービスの不完全さを痛感する日々が1年程続きました。「人は実利で繋がっているから、テレアポよりもプロダクトを磨くことに専念すべきでは?」と疑問が頭の中をめぐり、事業のために進めていかなければならない実務から逃げたくもなりました。
また、社外との関係だけでなく、社内のメンバーとの関係性にも課題が見られるようになりました。簡単な仕事しかふらなかったり、あえてミスに踏み込んで指摘しないという関わり方をしていました。深く踏み入ることで、今の関係性が壊れてしまうのを恐れていたのです。逆に踏み込もうと意識しすぎることによって過度に干渉してしまうこともありました。

これらは、石川自身の恐怖の対象を認知させる経験となりました。人から拒絶される恐怖とともに、自分自身に課題・欠陥があるということを改めて認知する恐怖を味わいました。


【考察3:自我に向き合う環境セット】

次の世代まで続く社会課題を解決することを目標に起業家が陳腐なビジネスからはじめる理由の1つは事業が結実しないのを環境のせいにしないためである。陳腐なビジネスとは世の中で既にニーズが顕在化されていて他社も参入しているビジネス領域。(注:ITechmarin社の場合、起業当初および2021年10月時点では他社は参入していない)この領域で成り行きでは辿り着けない高い目標を掲げることで、起業家は「自我」に向き合う環境がセットされる。石川の場合、First Biz devの段階で「有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない」という思い込みに向き合い自身の弱さを認識する。


課題に気づいたきっかけ

そんな葛藤する日々が続くなかで石川はReapraの支援担当者からある指摘を受けました。
「人向き合い避けてますよね?」
この言葉は、自分自身の課題と向き合い始めるきっかけともなる言葉でした。
しかし、ここで石川の人向き合いを避けるという行為が、あえて起業という手段を選択した自分の想いと一致していなかったことに気づいたのです。研究を続けることよりも、人とつながることも願いの1つにあって起業することを選択した自分との矛盾に気付かされたのでした。

さらに、妻からの指摘も自分の課題と向き合おうと決心するきっかけになったそうです。
石川にとって、自身が運営する組織は自分そのものという感覚でした。そのため、組織の弱点が世間に晒されることは、自分の弱点を晒すのと同じように感じていました。社内のメンバーの癖や弱みが組織の弱点として表出されたときに強く感情が揺れました。メンバーのミスが外部の人から組織の弱みとして認識されたくないという気持ちから、メンバーのミスを感情的に怒ってしまうことを繰り返していました。その様子を見た妻から、「そんなやり方では人はついてこない」と指摘されました。

起業前は、自分の癖や他者からの指摘を受け止め向き合うことを避けていた部分がありました。起業後は否が応でも、自分自身の癖に向き合わないと事業が進まない、組織が機能しないなどの問題に直面しました。中々思い通りにいかない日々が続き、恐怖・不安・怒り・違和感・無力感など様々な感情が渦巻いていました。欠陥のある自分を晒し続ける状況に追い込まれたとき、石川は強い心地悪さを感じます。石川の場合、その気持ち悪さこそが自身の変容の動力源として駆動していると言います。
「自分の欠陥を認知してしまったら、自分が変容するしかない。なぜなら、欠陥のある自分を見続けることが私にとって一番の恐怖だからです。サウナにずっと入ってのぼせてくると、早くこの状況から移動しないとヤバイという感覚になりますよね。私にとって、自分の欠陥を直視し続けることはそれと似た感覚です。何かアクションに落とさないといけないという感覚でしょうか。」
人向き合いのテーマにおいて、自身に欠陥している部分があると受け入れることそのものが石川を変容させる原動力ともなったのです。


【考察4:強化学習を避けるための他者視点】

石川の思い込みである「有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない」という自我は、商社時代は成果を出すのにとてもプラスに働いた。ただ、この思い込みは石川自身の報酬・危険回避メカニズムを強化(強化学習)することになりやすい。快適なものは享受し、不快なものからは逃げる。
環境に自我が合致すれば成果は出るが、自己変容のサイクルには入れない点では学習の機会を見逃している可能性がある。強化学習で処理している学習機会に気づき、自我を活用しながらなりたい姿に向かうために他者視点を入れたり伴走者を設けることが推奨される。


恐怖を受け入れ「人向き合い」に取り組んだ先の変化

「有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない」という思い込みから少し解放されるきっかけともなったのは、サービスの内容がまだほぼ決まっていないなかで、成約してくれた顧客との出会いでした。製品のレベルも中途半端な上に、実績もなく、石川一人で事業をやっていた状況下で、成約してもらえた時の嬉しさは言葉にできないものでした。自身の背中を押す意味合いも含めて、採用してもらえたのではないかと石川は振り返ります。サービスとしても、会社としても、起業家としてもまだまだ未熟な状態でも、興味を持って頂ける顧客がいたことによって、「有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない」という思い込みから少し解放されたのでした。

社内でも石川は、積極的に自分の弱みを開示することに意識し始めました。石川自身が本能的に隠していた弱点を、失敗談を絡めながら積極的に開示すようにしました。さらに、自分自身が弱点の改善に向けて試行錯誤している姿を見せるようにも意識しました。
石川自身が変化したことで、メンバーも仕事で感じている不安や想いなどの感情を話してくれるようになったり、自分自身に矢印を向けた内省をするようになりました。
「私自身が自分の感情や欠点と向き合う機会が増え、自己変容のきっかけにもなったと感じています。私自身に起きた変化がメンバーにも伝導し、組織にとって良い環境をつくることにつながりました。」と石川は変化の実りを実感しています。
石川が自身の弱い一面を受け入れることができたことで考え方に幅ができ、取れる手段も増えてきました。自身の変化が実際に事業や組織に良い影響を与えています。
事業においては、以前よりもサービスの磨き込みに力を入れられています。一歩踏み込んで顧客にサービスの不満点や改善点を聞きにいくことで、サービスの改善ができています。また、サービスの改善が進んでいることで、サービスそのものに対して自信を持てるようになりました。組織においては、自分が全てを背負うという方法を取らずに、メンバーと一緒に前に進んでいくことを意識するようになりました。相手の思いを深く受け取ることで、組織力を上げるための具体的な施策につながっています。また以前では、メンバーに任せていなかったテレアポ業務も積極的に委任するようにしました。

外部とのつながりにおいても、変化が見られるようになりました。
石川が日々試行錯誤しながら積み上げてきた事業活動の認知が広がり、日本海事新聞社など、あらゆる方面から講演会のお声がけがくるようになりました。今までの石川であれば、講演会で人前に立つときに「有能で強くあるように見せなければならない。」と自分を大きく見せようとする意識が少なからずありました。しかし今は、肩の力を抜き、等身大の自分を見せることを意識しています。自分が目指す未来は自分一人の力では実現出来ないからこそ、「海運業界を変えていくために、皆様の力を貸してください」と素直に呼びかけることができるようになったそうです。ITecMarin社のミッションの実現に向けて、石川は自分自身を変容させながら一歩一歩歩んでいます。


【考察5:起業家自身が体現する】

起業家自身が体現することが強い組織をつくる。後々デリゲーションするうえでも、特に0-1フェーズの起業家にはとても重要である。学習の仕方、コミュニケーション方法、アポ取りから営業まで起業家自身が体現したことが組織に波及する。石川は恐怖を抱えながら自身の弱さを開示したことで社内メンバーも弱さを開示してくれた。起業家の変化が周りの人々の変化を促している一例。


ミッションへの手触り感から未来へ願い

「人・技術とテクノロジーのしなやかな融合により魅力的な海運業界を創造する」というミッションを掲げるITecMarin社。この半年間でミッションへの手触り感は向上したと石川は言います。顧客から、「海運業界の現場の技術を動画にまとめて広く発信していって欲しい」という要望があり、Youtubeでの発信をスタートしました。アイディアはあるが、実現できていなかったことが多いフェーズから、現場の技術や教育を動画で作ってYoutubeのメディアを運営して提供し始めるなど実務が進んだことで、現場の声に触れたり、現場の実状を知る機会が増えたため一気に具体レベルでの課題感がクリアに見えてきました。自分が思い描いている世界を実現することができれば、業界が変わると事業や自分自身に対して信じる気持ちが高まっています。

石川は事業作りを通して、起業前から捉えている「職人気質と創造」が重要だと再認識します。未だに前職の商社で経験した感覚が大きく影響しています。船の状態をパイプを叩いた音で調子が分かるなど長年培った職人にしかわからない技術が多く存在しており、その職人気質に深い尊敬の念があります。一方で、職人の持つ「職人気質」は諸刃の剣とも考えています。職人の世界で見られがちな背中を見て学ぶという世界観は、時代的に苦しいと認識しています。属人性の高さ、外への継承もなく、次の世代へ渡す準備がまだできていないのが現状です。職人の腕はもちろん大事ですが、日本のライフラインを守るために海運業界に変化を起こすこと、海運業界の魅力を伝えていくことが大切です。古い慣習が根深く残る海運業界に創造性を発揮しながら、新しい風を吹き込んでいく。石川にとって「創造」とは、自分の根っこにあるモチベーションの源泉です。

これからも石川のチャレンジと変容の旅は続きます。
事業では、「世界の海運業界を魅力的にする、人/技術×テクノロジーのプラットフォーマーになること」が未来のチャレンジです。石川自身は、起業経験のある投資家として、「人のチャレンジを応援すること。人間に創造欲求を、自分という枠から、他の起業家に拡張すること」です。そのためにも、まずは自分自身が海運業界の魅力化・発展に貢献し、その中で学んだ知恵を広め、繋ぎ、伝えていく。自分が抱擁できる国・人・価値観などの範囲を広げたいと夢を描いています。夢は膨らむものの、事業や組織を発展させてミッションを実現するには、石川が自身の自我に向き合い続けることが重要になります。まだ安心して人とつながれていると感じる場面は少ないようですが、今後も人向き合いというテーマに取り組むことで、さなぎから蝶になるような変容を遂げていくでしょう。

「欠陥はその人の本質的な価値を揺るがすとは限らないと思います。逆にその欠点が可愛げにつながることで、人が集まってくるのかもしれません。自分と周りの人のありのままの姿を受入れ、挑戦を促せる環境を作れるようになれば良いと感じています。」
石川は未来への願いをこのような言葉に残しました。


【考察6:『らしさ』は変化していく】

「有能で強くなければ社会や人は受け入れてくれない」この思い込みを未来の時間のなかで石川自身がどんなふうに受け取って変化させていくのか。もしかしたら武装することなく、等身大の自分であることがこれまでとは違う社会や人とのつながり方になるかもしれない。もしかしたら石川の”らしさ”の1つである創造性が発揮されることで今までの社会や人のつながり方を変えるかもしれない。本当の願いである「人とのつながり」は、未来の石川の”らしさ”が変わっていくことで実現する。


FillGap社 宮入CEO

2018年3月にFillGap社(以下、FillGap)を創業した宮入宇秀CEO(以下、宮入)と、ナンバーツーである宇佐見周平氏(以下、宇佐見)の起業ストーリーを追っていきます。

FillGapは「統合的な研究と実践を通じ、全ての人がありのままの自分で安心して存在でき、自らの授かった命を自分らしく生き続けられる持続可能な社会の創造に貢献し続ける。」というミッションを掲げ、「生きづらさの未然予防・緩和・解消と願いの実現支援の統合的な実践と研究を通じた、その人らしい人生の創造マーケット」という独自に定義した領域で事業を展開しています。現在の主軸事業であるクリエイティブアート教室の運営は、次世代に必要なアート思考を子供に培ってもらうための教育事業で、FillGapは、この他複数の事業を通して、誰もが自分らしく生きることが出来る社会の実現を目指しています。

しかし、FillGapが今日にたどり着くまでには様々な困難がありました。エントリー事業からの撤退や宇佐見の失踪、起業家引退も考えた辛い葛藤の日々などを、決して緩やかでない道のりは二人にどう映ったのか。そして、彼らはどのように困難を乗り越えてきたのか。

本編ではCEO宮入の半生を本人視点で追いました。また、共同創業者宇佐見からみた景色を番外編に据えることで、FillGapが歩んできた道のりを読者の皆様に複眼的に捉えて頂けるようにしています。

【考察キーワード】
#メンタルモデル #自我と環境の相互作用 #自己向き合い #自我変容 #領域選定 #信じ力 #人向き合い

順風満帆な高校時代から起業まで

高校生までの宮入は、運動も勉強も頑張る、優秀なタイプでした。高校は自ら海外の高校を選び、勉強は学年トップクラス、部活も野球部の副キャプテン、寮生活でも友人に恵まれ充実していると感じていました。一見すると、順調に見える人生ですが、一方で、優秀さを維持しないといけないという不安感や、優秀で真面目であることが大事であり弱さや醜さは表現できない生きづらさも抱えていました。大学に進学した宮入は、体育会系準硬式野球部に入ります。この時の宮入は、野球を続けたいという思いはありつつ、高校から一緒に進学する友人からの目も気になり、体育会に入ろうと決めます。しかし、硬式野球部では通用しないのではないかという不安から準硬式野球部を選んだのでした。

高校で副キャプテンを務めていた彼は、大学でも同様にチームの主力になるべく頑張ろうとしていた矢先、怪我が原因でチームを長期離脱することになってしまいます。半年間の離脱は周囲との経験の差が大きく開くことを意味します。そんな状況の中で宮入は、これまでのようにチームの中心にはなれないのでは、という不安に襲われます。当時の宮入にとって、野球部に所属し成果を出していることが自分のアイデンティティであり、友人とのつながりを作る居場所でもありました。そのため、野球部で活躍することは、野球部としての居場所や友人の中でのポジションにつながっており、活躍できない自分は「無価値」で「しょうもない存在」で誰も一緒にいたいと思わないのではないと考えていました。一方で、野球部を辞めるのは弱さを意味していました。

そんな風に不安と恐怖に揺れる中で、楽しそうだからと参加したのが学生起業スクールでした。学生起業家養成を目的としたこのプログラムに、宮入は怪我の療養中から通い始めました。すると大学1年生ながら、4年生を上回る利益をあげるなど優秀な成績を収めます。この成功体験から、1年生の終わりには野球を辞め、いつか起業しようと決心します。「高校時代までに培った、優秀であることで居場所を獲得するという自我傾向からきた行動だったと思います。自分が好きだけど活躍できない野球というフィールドを避け、勝てそうなビジネスのフィールドに転向することで、無意識に自分を保とうとしていたのだと思います。」宮入は当時をこのように振り返っています。

野球部を辞めた宮入は、とにかく早く成長したいという思いに駆られ、その後、大学2年生(2017年)の10月にReapraでのインターンを開始します。いつかは起業を、と考えていた宮入でしたが、Reapraで起業家を身近に感じるうちに、すぐにも起業することを決意しました。大学も休学し、Reapraの支援下で起業家候補として起業のテーマを探し始めます。

そうはいっても、解決したい社会課題があるわけでも、自信が持てるアイデアがあるわけでもない宮入。当時のReapraでは今ほど起業のノウハウが形式知化されていなかったことも相まって、リサーチ活動は難航します。先輩起業家たちからアイデアをもらうも、「これでいける」と確信を持てる領域選定には至りません。

領域選びにかける時間が長引けば長引くほど、「早く始めなきゃ、お世話になっているReapraに申し訳ない」という焦りと、「他の起業家に比べて進みが遅くて、自分は何をやっているんだ。早くしないとダメだ」という劣等感から、Reapraオフィスでも居心地の悪さを感じ始めます。プレッシャーに背中を押されるようにして、ついに宮入は、Reapraがあらかじめ選定していた有望な領域のひとつを選び、勝負を決意します。こうして、宮入は2018年3月に宇佐見と共にFillGap社を設立しました。

宮入が選んだのは療術という医療分野でした。療術は物理療法と呼ばれる治療法の一種で、施術者の身体や機械を用いて患者の身体に力を加えて行う治療です。馴染み深いところでは、指圧マッサージや整体、低周波治療などが療術に含まれます。原因不明の体の不調に対して有効に対処できるという強みがあり、高齢社会の到来と共に需要が増す領域と考えられました。

この決定をした時の心境を宮入は後にこう語っています。「当時はいち早く領域を見つけて始めなくちゃという思いに駆られていました。でも今思えば、『利益を出せない自分は組織にとって無能なお荷物だからいてはいけない』という不安が根本に存在していたのだと思います。これは、幼少期の体験からついた『ありのままの無能な自分は存在してはいけない』という痛みの思い込みから来るもので、その痛みを再体験することをを避けるために『いち早く成果を出さなきゃ!』と考えていたのかなと。それ故に、短期的に1人で成果を出すことに執着してしまい、本来やるべきだった無知な自分を認めて助けを求めることや、時間をかけてリサーチすることができない状態だったのだと思います。」

この節のポイント


宇佐見から見たFillGap ①出会い〜起業

宇佐見と宮入は高校の同級生として出会いました。高校は全寮制で二人とも野球部に入部したので、二人は3年間寝食を共にし強い信頼関係を育みます。

高校を卒業しても二人の関係は続きます。宇佐見は高校の頃から起業に興味があったこともあり、学生起業スクールの体験受講に宮入を誘いました。結局、宇佐見はこのプログラムを受講しませんでしたが、誘われた宮入の方は、大学の野球部で苦悩していたこともあり、これをきっかけに起業を考えるようになります。そして翌2017年、宮入はReapraの支援を受けて起業することを決意すると、宇佐見に声をかけました。宇佐見にとっても、頼れる宮入からの起業の誘いは断る理由がなく、喜んでイエスと返事をしました。宮入に認められた気がした嬉しさと、その期待に応えたいという思いがありました。


事業撤退

療術での起業に漕ぎつけた宮入でしたが、前途にはいきなり暗雲が立ち込めます。同領域に強い競合が参入するという報せを聞いたのです。その会社は医療系メガベンチャーで、FillGapが対抗するには大きすぎる相手でした。

しかし宮入は、「負けるかもしれないけど、利益は出るし学びになるから進めばいいじゃないか」と事業を前に進めます。当時の彼には、「早く利益を出さなきゃ」という強いプレッシャーがあり、長期的に見て無謀と分かっていても撤退をすぐに決めることが出来ませんでした。

そのまま宮入の苦しい闘いは数ヶ月続きますが、2018年10月、Reapra創業者の諸藤からついに撤退を勧められます。この時の心境を宮入はこう語っています。「諸藤さんにきっぱり『無理なんじゃないか』と言われたときは、悔しさと同時に、正直安心感を覚えました。もう悩まなくてもいいんだって。安心して、その日はめっちゃ飲みました(笑)。」この日、宮入は療術領域を諦め、ふりだしに戻りました。


宇佐見から見たFillGap ②療術時代

2018年3月に事業領域を療術に絞ってビジネスをスタートさせた二人ですが、関係性は健全とは言えませんでした。宇佐見は社会経験がない普通の大学生。対して宇佐見の目に映る宮入は優秀でインターン経験も豊富。シェアオフィスにいる超優秀なビジネスマンとも対等に話しているように見え、宇佐見は次第にパートナーに対する劣等感を募らせていきます。自分が宮入の足を引っ張っているのではないかという負い目を感じるようになり、宇佐見の中で二人の関係性はもはや平等ではなくなっていきました。

宮入に出来るだけ迷惑をかけないようにしなければならない。もっと貢献しなければならない。そんな思いが宇佐見の心を支配していきます。また、宇佐見は著名な起業家の伝記などを読んで得た知識から、「起業家ならば24時間365日働かないといけない」と思い込んでいました。宇佐見は宮入の期待に応えるため、また起業家らしくあるために自分を追い込んでいきます。始発でオフィスに来て終電まで残る生活。「何をすべきかは分からないけれど、せめて自分の時間を全て捧げなくては宮入に顔向けできない。それくらいはしないと。」そんな思いが宇佐見を駆り立てました。

また、宇佐見は自分の先延ばし癖にも苦しんでいました。仕事で失敗をしたり、期日までに業務が完了していないとき、後ろめたくて宮入に伝えられませんでした。「全ての帳尻を合わせられたら、そこで初めて宮入に伝え、謝ろう。」そう思っていたのですが、抱え込んだ業務はすぐに膨れ上がり、宇佐見の心を常に蝕みました。重い気持ちで朝から晩まで働く生活が数か月続き、この年の11月、宇佐見はついに身体を壊しました。それでも復帰すると、またすぐ懸命に働きはじめる宇佐見でした。


再び領域を決めるまで

ここからの日々は、向き合うべき領域がわからない中で、「早く決めて早く始めなくては」という焦りと、療術での失敗から丁寧に領域を決めたいという思いの両方に引っ張られ、まさに暗黒期でした。

宮入は再び事業領域選びをはじめますが、これという領域が選定できません。療術の頃から、起業を急ぐあまりReapraの基本概念や自分自身への理解をなおざりにしてきたため、自分がこだわれる領域をどう見つけていいか見当もつかなかったのです。納得のいく領域を見つけたいという思いと、周囲の期待に早く応えようとする気持ちの間で葛藤が起こり、上手くやれない自分を責め続ける日々が続きました。

納得できる領域を決めきれないまま時間は流れ、2019年6月19日、領域リサーチに没頭できない自分を見て限界とReapraへの申し訳なさを感じた彼は遂にReapraに辞意を表明します。しかし、当時Reapraで伴走支援を担当していた社員から続けてみることを提案されます。Reapraと宮入が目指す道のりは簡単なものではなく、まさに宮入は正念場にいるのではないかと諭されたのです。時間をかけてこの暗黒期を乗り越えれば、視界が開けるかもしれない。対話を重ねる中で宮入は納得し、領域選定を続けてみることにしました。


宇佐見から見たFillGap ③失踪

一つ事業をたたみ再び領域探しを始めた宇佐見と宮入ですが、二人のぎこちない関係性は続きました。そしてついに、宇佐見は数か月の間、宮入から連絡を絶って姿を消します。

2019年2月。破綻のきっかけは些細な事でした。その日、宇佐見は友人からスキーに誘われました。これまで身を粉にして働いてきた彼も、この日ばかりは大学三年生らしく遊びに行くことにしました。良い息抜きになるだろうと思いつつ、たった一日休みを取ることを宮入に伝えられない宇佐見。休みなく働く宮入に、自分が業務を放り出して遊びに行くなんて言えませんでした。そのため、「スキーから帰ってきて遅れを取り戻したら、その時に言おう。それなら後ろめたさを感じることもない。」そう思うことにしました。

いざスキーに行くと、これまで遊びを押し堪えていたことや、仕事で抱え込んだストレスもあって、友人たちと過ごす大学生らしい時間が楽しくて仕方ありませんでした。「もう少しだけ遊んでもいいじゃないか、後で挽回すれば大丈夫。」自分にそう言い聞かせ、宮入への後ろめたさと、起業家としてあるべき姿通りにやれない自分自身を責める気持ちを心の隅に追いやりました。

そのまま一週間が経ち、半月が経ち、ついに一ヶ月が経った時、宇佐見はもう取り返しがつかないことをしてしまったと、ことの重大さを確信しました。今さら宮入になんて声を掛けたらよいのか、いや、自分にその資格はない。宮入の方も自分に愛想を尽かしているだろう。宇佐見はそう思い、未練と罪悪感を感じながらも、宮入との日々を忘れるように大学生としての生活に順応していきます。3月からは就職活動も始め、日系大企業からの内定を得ました。


起業家として再スタートを切った宮入は、初心にかえって基礎固めに取り掛かり、その後半年間で大きく3つのことに取り組みます。

第一に「自分を知る」こと。自分が何にこだわれるのかを探るため、自身の半生を振り返り、その時々の感情、とりわけ弱さや醜さが表れるネガティブな気持ちに注目しました。そうすることで自分自身に対する理解が進み、自分がどういうことに動機付くのか、どんな思いに囚われて行動しているのか、を客観的に捉えようとしました。この振り返りから、醜さ(他者を羨ましく思い、時には批判したくなる感情)、承認欲求や、馬鹿にされたくないというプライドや自堕落さから、理想的な行動ができないことが分かってきました。最終的には、さまざまな囚われによる行動によって、機会損失が起こっていることに気づいていきました。

第二に「人間と社会の歴史を知る」こと。過去から現在までに至る社会や人類の流れを理解することでしか、次にとるべき選択は見出せないと考え、時間をかけて数々の歴史書やビジネス書にあたりました。歴史を知ることで、これまでとこれからの社会の動きを考える足掛かりができ、各リサーチ領域の見立てが解像度高く立てられるようになりました。それが、これまで苦しんできた領域選定に大いに役立ち、後に領域を決めた際に、その領域を強く信じられるベースになりました。

第三に「Reapraの特徴と方法論を深く知る」こと。宮入はReapraの支援下で起業していますが、Reapraの概念が言語化される途中だったことや、宮入自身が事業をとにかく進めることに集中していたこともあり、Reapraの方法論を理解することを後回しにしていました。自分が歩もうとしているReapraでの起業はどういう考えに則っているのかを改めて理解するべく、Reapraの理念や支援の独自性を学び進めていきました。今まで以上にReapraの概念を深く理解できるようになり、Reapraの方法論への信じ力が高まりました。

これらの営みを続けて半年ほど経った2020年1月、宮入は新たに教育の領域で事業づくりを決めます。世の中の流れや自分自身の心の動き、そしてReapraでの起業についての理解を進めていく中で見えた領域でした。その理由について彼はこう語っています。「現行の教育は先生に教えられた方法をいかに早く実践出来るかの競争です。僕自身、このフィールドにおいて価値を発揮することを「自分らしさ」だと感じてきました。しかし、起業して決まりきった正解がなくなった途端、自分らしく生きる方法が分からなくなってしまいました。この時、誰かに与えられた「正解」を追っていた今までの自分は、本当に自分らしく生きることと向き合えていなかったと気づいたんです。そういった「正解」が与えられるのを待ってしまう姿勢は多くの方にも当てはまると感じています。これでは自分が本当にしたいことを見つけたり、今後さらに不確実になっていく環境で新しい価値を創っていくことは難しい。そして、この姿勢は現行の教育によって形づくられた部分が大きいと考え、今の教育に足りない部分を変えたいと思うようになりました。」

この節のポイント


宇佐見から見たFillGap ④二度目の決断

「元気にしてる?」

2019年5月、宇佐見に宮入から連絡が入ります。宮入はずっと宇佐見のことを気にかけていながら、自分自身も激しく葛藤していたため、宇佐見に何と声をかけていいか分からずにいました。一方で宇佐見はこの連絡が来た時のことを「めちゃくちゃ嬉しかったし、ホッとしました。」と語っています。無二の親友だった宮入に不義理を働いて、一生顔向けができないと感じながら過ごしたこの数か月、宇佐見は心にしこりを抱えていました。そして宮入から「これからのことは宇佐見の好きなようにして欲しい。ただ、戻りたい気持ちがあるのなら、俺は宇佐見を待っている。」と伝えられます。

宇佐見は人生の岐路に立ちました。生まれて初めて、自分の人生を自分の意思で選ぶ感覚がありました。内定を獲得した企業に就職するか、FillGapか、ダブルワーク、はたまたファーストキャリアは日系大手にしておいて転職でFillGapに…。様々な可能性を考えるうち、宇佐見は自分の心の声に気づきます。

FillGapには戻れないと思って就職活動をはじめた。でも今は、FillGapに戻ることありきで、リスクヘッジで大手に就職するかどうかを迷っている。ということは、自分が本当にしたいのは宮入と起業を続けることなんじゃないか。この時、宇佐見は宮入と起業を続けたいという、純度100%の意思を確かめました。

二年前、宮入から一度目の起業の誘いを受けた時とは違い、今回は他の選択肢を捨て、自分自身で起業家の道を選んだ感覚がありました。


領域を教育に決めてから

領域を教育に決めた宮入は、FillGapのミッションを「未来社会を見据えた適切な学びのあり方の実践と探究を通じ、人々のイキイキとした人生の形成と、より良い社会の創造に貢献し続ける。」と定義し、事業選定をスタートさせます。そこから1か月後の2020年3月頃、最初の入口をクリエイティブアート教室にすることが決まりました。新しい事業に向かって進み始めた宮入ですが、ここでも大きく2つの行き詰まりが発生します。

一つ目は、世界全体に等しく停滞をもたらした新型コロナウイルスの影響です。オフラインの事業を想定していたFillGapには大打撃でした。当時は学校でさえ休校措置をとっているような状態です。宮入は戸惑いを覚えつつも、場所選びなどすぐできる準備を進め、同時に心理学や教育学を本格的に学んでこの期間を過ごしました。

二つ目が、起業を支援するReapraとの関係です。宮入は、コロナという未知の状況の中だからこそ、高い目標に向かって多様な施策を試行錯誤しながら進めていくことが重要だと感じていました。しかし、事業を牽引しているのは自分自身であるはずなのに、年上の支援担当社員から誘導されているように感じている場面があり、また、その葛藤を相手に伝えられない状況に苦しんでいました。例えば、宮入が本当はそうしない方がいいと思っていることでも相手が提案したことには同意せざるを得ないと感じてしまったり、Reapraとのセッションの中で言ったことを次のセッションまでに必ずやらなければと強いプレッシャーを感じるというループに入ってしまっていたのです。この前提には、長い間利益を出せていないためお荷物状態であるという申し訳なさもありました。

当時の心理的な構造を振り返って宮入はこう語っています。「色々なダブルバインドが起こっていたように感じます。内発的にめっちゃやりたいことがあり、当時の状況を鑑みて本当はこうやった方が良いと感じる進め方もありました。ですが、Reapraとのセッションではいつもお世話になっているRMの方に対する申し訳なさや、投資家と起業家という関係性などから、『毎週ちゃんと期待通り進まないといけない』という説明責任のようなものを感じ、言うことを聞かないとというモードに入っていました。その結果、上司部下のような関係性を感じてしまい、ミーティングで自分の思っていることを素直に伝えられませんでした。提案されたことを良いと思っていなくても受け入れる。でも、良いと思っていないので進められず、1週間後のセッションの直前に少しだけ進める。そうすると、なんでやってないの?となるので、その場では謝りつつ、、、というループでした。」

自分のやり方で思い通り進めづらい関係性に「放っておいてほしい」と感じつつも、自分の本音を伝えられない状態でした。本来だったら願いに向かって進むために使えていた時間と労力を無駄にしてしまっていることが、宮入にとって大きなストレスでした。不自由さを感じるあまり、「どうして過去と比べて内発的にやりたいと思えることがあるのに、人が関わるとこんなにも前に進むのが苦しいのか?」と当時の自分自身に疑問を抱くようになります。内発的にやりたいことを見つけたら人生が楽しくなると思っていたのに、そうはならない自分にもどかしさも感じていました。

―この苦しみはどこから来るのだろう。―

宮入が疑問を持ち始めた時、Reapraの勉強会でとある人物に出会います。彼は「多くの苦しみは、その人が深いレベルで持つメンタルモデル(幼少期から積み重なった思い込み)からくる」と宮入に語ります。彼の言葉に答えがあるのではないか。宮入はそう思い、彼に面談を申し込みました。それが実現したのは、2020年9月のことでした。

彼との対話の中で宮入は、自分自身が幼少期からつくり上げてきた、深い思い込みに気づきます。それは具体的には以下のようなことでした。

①自分の意思とは裏腹に、自分に望まない不本意な行動を取らせ、生きづらさを生み出す深い思い込みと、それに紐づいた行動の枠組みに気づく。

②その原因を探究していくと、自分が選べなかった幼少期の環境と自身の性格気質との相互作用によって生まれた痛みを再体験しないように、これまでの人生を通して無自覚のうちに、ある一定上記の行動・思考パターンを強化学習せざるを得なかった過去があることに気づく。また、幼少期の環境は自分で選べないものなので、上記のパターンは自分にとって、生存のために獲得せざるを得ないものだったと気付く。

①②の両方を通じて、本当の意味で今のありのままの弱さや醜さも含めた自分を受容することができたのです。なぜなら、この構造 (心理学的にはシャドーとも呼ぶ) があるのは自分のせいではなく、自分が意図して選択したわけではない過去の環境が大きな要因であると心から感じられたためです。宮入はこのことを「今までの醜さや弱さも4歳の時の自分が当時の環境で感じた痛みを避けるために、必死にもがいているように考えたら、仕方がないと捉えられるし、なんなら少し愛おしくすらも思え始めた。」と言います。

【ありのままの不完全な自分だと大切な人の期待に応えられない。だから、価値がある存在になり続けるよう努力し続けなければならない。】

これまでの自分の苦しみのほとんどが、ここから湧いているということを宮入は理解します。

―ここまでの自分は、人と関わる環境において幼少期に体験した痛みを再体験しないために『価値を出し続けないといけない』という過去の環境から与えられた無自覚な思い込みに突き動かされて行動を選択してきた。起業を最初にしようと思った時もそう。しかし、この構造に気づけた今は、もっと冷静に今後の人生をどう使いたいかを考えられる気がする。さあ、自分がいま本当にやりたいことって何だろう?―

それから一週間、宮入は起業家をやめることも視野に入れ、ゼロベースで自分の気持ちと向き合いました。そうするうちにより深い構造に気づいていきます。それは、自分が心からやりたいことを実現しようとした際に、過去に勝手につけられた自我構造と環境(不確実な事業環境や利害関係者など)との相互作用によって、どうしようもない生きづらさを味わった経験があること。その経験から、「自分が選択したわけではない無自覚のうちに存在した、自我構造が原因で、願いの実現に向けて生きれず、不本意な体験を味わい続けながら生きざるを得ないこと」の辛さを改めて強く感じました。そうして宮入は、内発的にもう既に同じような状態になっている人を助けたいし、そういう人が出てこないようにしたいという思いを新たにしていきます。

この振り返りから宮入は、「全ての人がありのままで安心して存在でき、内発的な自分の願いに沿って自分の人生を味わい楽しんで生きていける社会を作りたい」というライフミッション2にたどり着きます。そして、このライフミッションを実現し、社会に大きなインパクトを与えるためには、やはり会社経営が良い手段に思えました。

この瞬間、宮入にとっての起業が、「自分が努力して価値を提供することで、居場所を確保し安心して生きるための手段」から、「より多くの人を幸せにし、より良い世界を創るための手段」に変わったのです。

この変化は、宮入の普段の行動にも大きな影響を与えます。ここで起きた変化を宮入はこう語ります。 「これまでは、自我傾向から思い通りに行動できない自分を責めて厳しく律しようとしていました。でも今は、最も深いレベルの囚われと、それができた過去の環境に気づくことで、弱さや醜さ、不完全さ(痛みを避けるためのもの)などを持った等身大の自分を受容できるようになりました。また他者についても同様で、以前は批判したくなるような他者の未熟な行動も、相手のそうせざるを得ない過去の背景を想像し、否定せずにむしろ相手の味わっている生きづらさに共感でき、相手をありのままに認められるようになったと思います。」

「また、囚われとの適切な付き合い方も学びました。そうすることで、自分の願いの実現に向けて、今までの自分の延長線上では出現しなかった新たな行動が取れるようになり、結果として、自分が本来持っていた資質や力を以前よりもうまく発揮できるようになりました。 社員にも受容的な面談と心理教育を通じて、彼らの囚われの理解を促進し、以前よりも明らかに彼らが願いに向けて、彼らの元から持っている能力を発揮できているように感じています。」(→下記に続く、宇佐見視点の「安心の輪が広がる」とつながる部分)

2. ライフミッション:当事者が人生をかけてエネルギーを費やし続けられると信じられる拡張性のある(社会のニーズが徐々に高まっていくことで、学習機会が多く提供されやすい)テーマ。

この節のポイント

いま

宮入はその後、FillGapの対象領域を「教育」から「生きづらさの未然予防・緩和・解消と願いの実現支援の統合的な実践と研究を通じた、その人らしい人生の創造マーケット」に変更し、一人でも多くの人が自らの授かった命を自分らしく生きられるよう、適切なサポートの創造と提供のために活動しています。

現在は、クリエイティブアート教室の他に、子育てのストレスを緩和する母子カウンセリング、生きづらさを抱えた個人向けの心理カウンセリングなどを行っています。


宇佐見から見たFillGap ⑤いま

宮入が自身のメンタルモデルを理解したことで苦境を脱したのを受けて、宇佐見もメンタルモデルの整理と共有を宮入と行いました。これによって宇佐見は、自分の欠点だと思っていた行動・思考パターンが、成長の過程で必然的に身につけたものだと分かり、自分に優しくなれたと言います。それは他者に対しても同様で、これまで理解できなかった宮入の言動も受け入れられるようになりました。互いの違いの原因を理解し、尊重し、その上で建設的に議論を出来るようになったことで、二人の関係が改善したと宇佐見は感じています。

これまで、「起業家は休まず働き、価値を出すべき」というセルフイメージから来る罪悪感を抱えていた宇佐見。そして自分に厳しく、弱さを許す雰囲気を作れていなかった宮入でしたが、いまはお互いに自分を開示し、受け入れられている感覚を持てていると言います。FillGapではこれを「安心の輪が広がっている」と表現しています。今は遊びに行くことも気軽に伝えられるような関係性を構築できています。


考察

これまで、FillGapの成長の軌跡を当事者視点で観てきました。ここからは、彼らに起きた変化がReapraの理論でどのように解釈できるのかという観点から、学びを二つ挙げてみたいと思います。

考察①:自分を知り、心から打ち込める事業領域を見つける

最初の学びは「自分を深く知り、心から打ち込みたいと思える事業領域を見出すことが、事業へのコミットを高め、困難を乗り切る原動力になる」ということです。

起業する領域や事業に向き合うとき、起業家はさまざまな困難に晒されることになります。FillGapのストーリーでは、宮入と宇佐見の関係悪化やコロナの影響、競合の進出などがその一部に当たります。こんなとき起業家は「自分はなんでこんなことしてるんだろう」と自分がしていることの意義を信じられなくなってしまうことがあります。こうした思いが胸をよぎるとき、自分のらしさや願いと自分の事業が繋がっていると信じられることが、苦境を乗り越える原動力になるとReapraは考えています。

宮入の療術時代と現在の事業領域にかける想いの対比から、この違いを垣間見ることができます。療術時代の宮入は、「周りの人が伸びると言っている領域の中で1番自分にあっていそうなものを選ぼう」と考えて領域を決めました。この時は、自分の価値を証明しなければ大切な人に認めてもらえない、という奥底に抱える恐れに無意識に影響された状態で、事業を選択していたと言えます。しかも、宮入自身が恐れの原因に気づいていなかったために、彼は原因不明の焦燥感や恐怖感をダイレクトに感じていました。宮入は自分が取り組んでいることの意義を見失いながら、とにかく目の前の事業を進めることに集中し、事業に対する不安や恐れを押し殺していたと当時を振り返っています。このように、自分のらしさや願いに無自覚な状態で困難に晒されると、目の前でやっていることへの疑念から、事業に対する気持ちが少しずつ離れていくということが起こり得ます。

反対に自身の奥底にある自分らしさを認知した上で領域を選んでいると、辛く苦しい局面であっても「どうして自分はこれをやり続けるのか」に答えを持ち続けられる理由になります。そして、これが困難の中にあっても自分の領域や事業を信じる源になるとReapraは考えます。

現在の宮入にとって教育領域で起業するという選択は、彼のライフミッションである「全ての人がありのままで安心して存在でき、内発的な自分の願いに沿って自分の人生を味わい楽しんで生きていける社会を作りたい」を達成するための手段として位置付けられています。このライフミッションには、幼少期の経験から形成されアップデートされてきた彼のらしさの裏側にある、「ありのままで安心して在り続けたい」という宮入の願いから生まれるエネルギーが詰まっています。彼の感情や行動の裏側にある、らしさと願いを根源とする執着が、ライフミッション→事業領域→足元の事業という形で繋がっていることで、「自分はなんでこんなことしてるんだろう」と迷いが生じるような苦境でも、原点に立ち帰って進み続けられると思うのです。

考察②:自分らしさの構造と成り立ちを知る

2つ目の学びは、「自分らしさの構造を知り、その成り立ちが環境と自分の相互作用の結果だと認識することで、自分や他者との向き合い方が変化する」ということです。

人の感情や行動は、本人が生まれ持った性質や気質と、生きてきた環境がお互いに影響しあって形成された、その人固有のサバイバルメカニズムによって生じます。宮入の場合、彼の心理の根底にある「ありのままの不完全な自分では認めてもらえないから、価値を発揮しなければならない」という思いが、このサバイバルメカニズムの起点です。そして、自分を動かすメカニズムを認知し、またそれが自分ではコントロールできなかった3環境と自我の相互作用の結果であることも認知できると、自分の感情や行動をサバイバルメカニズムによって生み出された当然の結果として客観的に捉えることが出来るようになります。

インタビューで宮入は、自分らしさの構造とそれが作られた経緯への解像度を高めていたときの感覚を「(自分の現在の人格や、それによって生じる苦しさは)ある意味で自分のせいじゃないんだなと思えた。」と語りました。ここから、宮入は自分の感情や行動を以前よりもフラットに受け取れるようになったと理解できます。

現在の自分が経験する感情や行動は味わった上で、自分がそのように反応してしまうこと自体を責める必要はないと感じられるようになったのです。苦しいと感じた時、感情に振り回されて自分や周りを傷つけるのではなく、苦しさのもととなる自分らしさの構造を客観的に捉え直し、その上でありたい姿にむかって少しずつアクションをとっていく。そんな健全な状態に変わっていったのだと考えられます。

自分らしさの構造と成り立ちを知ることは、他者との関係においても効果があると考えられます。そのことは、宇佐見のケースを見るとよく分かります。

お互いのサバイバルメカニズムを理解できるようになる前、宇佐見は仕事に打ち込む宮入の姿を見てプレッシャーを感じていました。彼は自分が休みの日を楽しく過ごすことが宮入に貢献できていないことの表れのように感じ、休むこと、楽しむことに負い目を感じていました。一生懸命働いている宮入を尻目に休む自分は不誠実な人間だ、と自身の人格を責める状態です。しかし、ここで宇佐見がとっている行動は、宇佐見らしさからきている当然の反応にすぎないとも言えます。宇佐見は「他者の期待に応えなければ、その人が自分の元から去ってしまう」という恐れを心の奥底に抱いているため、宮入に貢献出来ていない状態を過剰に意識してしまうのです。

他方、宮入も自分の「価値を発揮しなければいけない」というサバイバルメカニズムに稼働されて努力していました。

お互いがお互いのらしさの構造に気づけたことで、二人の関係に対話の余地が出てきました。すなわち、どちらかの人格がよくないという話ではなく、お互いがどういったサバイバルメカニズムを持ち合わせているからすれ違いが起きるのかという対話ができるということです。お互いの持つ自分らしさの構造と成り立ちを踏まえて対話をすることで、お互いの感情や行動をフラットに受け止め、それぞれのなりたい姿に照らして話すことができるようになると考えられます。

3. 認知していない状態では制御できないという意味で、常に制御できないという意味ではないのでご注意ください。環境と自我が相互に作用していることとその結果としての自分の自我を認知し、ありたい姿に近づくために環境を選んでプレーする、というのが社会と共創する熟達です。

第3部起業家実践を読んでいただきありがとうございました!自分の理解度や疑問点の整理ができるアンケートをご用意しておりますので、よろしければお使いください。 メールでのフィードバックは book-feedback@reapra.sg まで。

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