第1部

はじめに

現代では資本主義によって、これまでにないほど豊かな生活が実現されています。過去と比較してみると飢餓、貧困や病気などに苦しむ人は減少しており、明日の生活ではなく、何十年も先の幸福のことを考えられるようになってきました。同時に、ある変化がまた別の変化を呼び、先の見通しが立ちづらい社会になってきたことも事実です。これまで「正解」とされてきた生き方が、10年後も変わらず「正解」であり続けるのか予測できないほどの急激な変化が起こっています。

他方で、大量に物を生産することで経済成長をもたらした高度経済成長期の社会では、人が決められた時間に働き、決められた動きをすることが求められていました。そのため、学校教育も同様に、そうした社会に合った人材を育てるために、正解のある学習様式を導入してきました。多くの人たちに身についている一般的な学習とは、この従来型の学習だと考えています。このような学習様式のまま、試行錯誤しながら学習を進めていくことが必要な不透明で変化の激しい時代を生きていくことは、さまざまな困難を招きます。

Reapraは、このような何が起こるか予測するのが難しい現代社会において必要な生き方があるのではないかと考えています。その生き方が、社会と共創する熟達です。社会と共創する熟達は、ライフミッション(人生をかけてエネルギーを費やし続けられると信じられ、かつ社会性を帯びたテーマ)に向かって前進していくことを達成するために、長きに渡り自ら試行錯誤の学習を続けたいと思う人や組織に必要なものだといえます。また、そうした行動様式を実践していくためには、それを実践するための環境、自分らしさや具体的な学習方法などについても理解を深めていくことが必要です。

さて、では社会と共創する熟達とはどのような意味か、その定義を提示します。社会と共創する熟達とは、「社会と共創する」と「熟達」という概念で構成されており、それぞれの定義は以下のようになります。

  • 共創:当事者(自分や自分の組織)とは異なる価値観や能力を有している他者や他組織と、それぞれの目的を持ちながら、ある同じ目的に向かって協働していくこと

  • 熟達(学習):ライフミッションに向かって前進していくために、自我を変容させながら必要な価値観や能力を獲得していくこと

次節以降では「社会と共創する熟達」をよりよく理解するために重要となる、環境と自我の相互作用(第1節)、不透明な環境と自己変容型の自我(第2節)を説明していきます。その上で、不透明な環境における学習(第3節)について触れ、そして最後に社会と共創する熟達の実践(第4節)について説明していきたいと思います。

このように、第1部では、Reapraが不透明で予測が難しい環境でライフミッションに向かって前進していくための行動様式として置いている「社会と共創する熟達」とその前提にある概念について触れていきます。読み進めていくと、さまざまな疑問がみなさんの中に湧いてくると想像しています。それは、「社会と共創する熟達」が探求中の概念であり、それゆえに抽象的な表現になってしまっていること、また、この概念が文字だけで伝え切ることが難しく、実践も伴いながら理解を深めていただくような概念になっていることに起因すると思います。

ですが、できる限り文章にしてみなさんと共有することで、概念自体をより深めることができるのでは、とも考えています。みなさんの疑問は社会と共創する熟達をより深めていくきっかけになりますので、ぜひチャットやメール(book-feedback@reapra.sg)などで投げかけていただきたいです。また、もし具体的なイメージを先につけたい場合は、第3部に掲載している起業家やReapra社員の実践例を読んでいただくことをお勧めします。

第1節:環境と自我の相互作用とは

私たちの持つ自分「らしさ1」つまり自我は、環境と相互に作用しあって育まれていると、考えています。ここで言う、環境とは社会の流れや時代の空気感など時間的なものと、生まれた場所や育った国・地域など地理的なものなどがあります。それに加えて周りにいた人々、つまり両親や兄弟、親戚などの人間関係も重要な環境です。

また、自我とは、個々の持つ「らしさ」や囚われ、アイデンティティなどです。そして、これはサバイバルメカニズムとして埋め込まれており、より生きやすいように形成・強化・変容していきます。(※この部分の詳細に関しては、Book ver1 第1章脳節 「社会と共創する熟達における脳の活用」をご覧ください)

元来、私たちは多くの場合、選択権を持たない幼少期の頃に自我が形成されます。例えば、幼少期に物事を一人で達成し、親から褒められ、愛情を注がれた子は、次の物事も同じように報酬を得るため、「一人で進めようとする」傾向が強まるでしょう。一方で、何か物事を一人で達成したものの、親が心配し、それ以降親のサポートを受けてきた子は、物事を進める際に他者からのサポートを受けようとする傾向が強まるかもしれません。もちろん、生まれながらに持つ気質や遺伝など生得的なものもあります。しかし、後天的に環境によって培う自我の形成があることは否めないでしょう。

そして、これらの自我はその後の環境によって強化・変容します。また、大人になるにつれて固着していき、意識しなければ、その時点で形成されている自我が好む環境を選択していきます。例えば、上記の「1人で進めようとする」傾向を持つ子の例で考えると、小学校や中学校において1人で物事を進めリーダーシップを発揮できることもあれば、うまく他者に頼れず孤立して物事を成していくこともあるかもしれません。そうして、1人で実践していくことにより他者との関係構築の経験が少ないまま、次の環境においても同様の意思決定が行われ、そこでの報酬が得られれば得られるほど、より1人で実践する環境を好んで獲得しにいきます。このように幼少期の頃からの数十年の無意識の積み重ね、環境と自我の相互作用によって、現在の我々の自我は形成されているのです。

1. らしさの定義

第2節:不透明な環境と自己変容型の自我

このBookを読んでいる皆さんも、執筆している私自身も、今の自分(自我)は、これまでの環境と自我の相互作用から形成されています。そして、私たちのよって立っているもう1つの前提に「人は幸福を希求するものである」というものがあります。幸福とは何かを考えた時に、一瞬の快楽と呼べるような幸せではなく、長期持続的な幸福に価値を置いています。(今この瞬間の幸せを否定するものではありません。) では、長期持続的な幸福はどのようにして得られるかというと、①心身共に健康であること ②社会とつながっていること ③新しいことをできていること の3つの要素が鍵だと考えています2。この3つの要素の1つにもあるように、「社会とつながっていること」は私たちの長期持続的な幸福と深く関与しています3

この長期持続的な幸福と環境と自我の相互作用と掛け合わせて考えると、私たちは自分らしさを発揮して行っていることが、社会とつながっていると実感できると、社会に自分が受け入れられていると感じられることができ、長く続く幸せを得られるということではないでしょうか。こう捉えると、当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれません。しかし、VUCAと呼ばれ、社会が加速度的に変化していく時代を生きている私たちにとっては、この社会の変化を捉えながら、長期の時間軸で自分らしさを活用し社会とつながり続けることは、文字で書くほど簡単ではありません。

環境と自我が無意識に相互作用している状態では、変わりゆく社会と個々人のこれまでの環境によって作られてきた自我がマッチするかは、宝くじのようなものでした。それが合っていれば、幸福を感じ、合っていなければ、生きづらさを感じる。今たまたま心地よく生きられるような、社会と自分の接点が作り出せている人でも、加速度的に変化する社会の中で、5年後〜10年後も同じように感じられているとは限りません。なぜならば、今何かしらの形で社会とのつながりを感じられているということは、これが社会とつながるやり方なのだという思い込みに繋がり、それが過去からの自我の癖を強化することにもつながるからです。そして、そのやり方に固執してしまうと、社会が変化した将来においては、そこから形成された自我が生きづらさを作り出す要因にもなるでしょう。

一方で、今の社会に生きづらさを感じている人が、今の社会に対して外側から文句を言っているのも不健全のように思います。もちろんそこには個々人の痛みがあると想像しますが、生きづらさから、今の社会に対するアンチテーゼを訴える人たちが集まり、自分たちの外側の問題として社会を攻撃することは、ある意味で今の社会を強化しているようにも感じます。

では、どうしたらいいのか。そのキーワードは、時間軸と動的さにあると考えています。つまり、今の社会がどのような構造でどのような価値観に重心があるのかを見極めながら、将来の社会の変化を見立て、そこに向けて自分自身をしなやかな自我に変化させるあり方が重要だと考えています。言い換えると、長期持続的な幸福感を獲得するためには、時間軸を入れて社会と繋がり続け、自我をしなやかに変容させることが重要なのです。

ここで気をつけなければならないのが、先ほども述べたように、自分自身の今の自我傾向から求めた環境によって、よりその自我が固着することがないように気をつけることです。私たちは、過去の経験から心地よい環境、コンフォートな環境を無意識に選ぶ生き物です。それは、幼少期に犬に噛まれたから犬を避ける、といった分かりやすい構造のものもあれば、幼少期に人とは違うことをしてたまたま褒められたという承認経験から、無意識にコミュニティにおいて独自のポジションを探してしまう、といった表面上は分かりにくい構造のものもあります。

そのために、社会は変化するということを念頭に置きながら、環境と自我が相互に作用しているのだとしたら、今の自我が過去のどんな環境との相互作用で形成されたのかを理解するのが出発点です。現在の自我状態 (asis) を深く理解した上で、10年、20年後に変化した社会で求められる社会との接点を探っていく。その接点を、はじめにで述べたようなライフミッション・マスタリーテーマ・PBFとして紡ぎ出す。その接点が、次の世代に求められるもので、今すでに小さく小さく兆しがみえているものであれば、それを長期でやり込んでいけば、時間をかけて熟達し、将来の社会でそれが求められた時に役に立てる状態になっているのではないでしょうか。

ただし、現状の自我を理解し、ありたい姿を紡ぎ出したといっても、今この瞬間に自我が変容しているわけではありません。そのため、短期では、自分自身の自我の癖として、今の自分にとって心地がよい環境を選び、怖いものは無意識に回避するという行動をとってしまうので、今までと行動は変わりません。そういった自分に自覚的になりながら、自分自身が今の自分らしさも活用でき、没頭できるような場所を選んで、小さくありたい姿に向かって歩みを進めていくことが大事だと考えています。社会との関わり合いの中で、自己変容を伴いながら学習することを私たちは「社会と共創する熟達」と呼んでいます。

2. 私たちは、長期持続的な幸福をこのように3つの要素で捉えていますが、幸福はまだまだ学術的にも探索されているものであり、多くの解釈が考えられると思います。ここ自体が、対話のきっかけにもなるととも思っています。
3. つながりの度合いや繋がり方は、その人固有のものです。社会とつながっているとその人自身が感じられるかどうかが重要だと考えています。

第3節:社会と共創する熟達における学習

第1節では、環境と自我は相互に作用し合い形成されているということを紹介し、第2節では、不透明な環境が進んでいる時代において長期持続的な幸福感を得るには、環境の変化に合わせて自我を柔軟に変化させる「社会と共創する熟達」というあり方が大切であるとお伝えしました。では、私たちはどのようにして社会と共創し、熟達をしていけば良いのでしょうか。私たちは「社会と共創する熟達」において、従来型ではない新しい学習の仕方が欠かせないと考えています。 学習とは様々な意味で用いられますが、私たちは、「できないことをできるようにしていくこと」を学習と呼んでいます。そして、主な学習様式は2つあると考えています。

1つ目が従来型の「答えがある環境における学習」です。この環境においては、決められた変数の中で答えを探し、見つけた答えに向かって反復しながら練習することで経験を積んでいきます。この学習様式はこれまでの時代においては、効率が良く適応していました。大量に物を生産することで経済成長をもたらした高度経済成長期の社会では、人が決められた時間に働き、決められた動きをすることが求められていたからです。そのため、学校教育も同様に、その社会に合った人材を育てるために、正解のある学習様式を導入していました。多くの人たちに身についている一般的な学習とはこの従来型の学習なのではないでしょうか。

しかし、このVUCAの時代においては、これから紹介する学習様式が重要性を増すと考えています。それが2つ目の「不透明な環境における学習」です。不透明な環境における学習では、答えがないため試行錯誤しながら学習を進めていくことが必要となります。その際、試行錯誤の範囲は、通常その人が過去に経験してきたことの中から、現在の自我で見えているもののみを取りにいくような落とし穴に陥りがちです。そうではなく、自我で捉えられない範囲の選択肢をも試行錯誤の範囲に取り入れていくことが重要で、その起点となるのが自分の情動4なのです。つまり、不透明な環境における学習とは、自分の情動を起点に、感情に振りまわされるのではなく、感情と切り離して、なりたい姿に照らした意思決定を実践を通じてできるようにしていくことを指します。

例えば、 部下に依頼したことが期限までに進んでいなくてイライラして(感情) 心拍数が上がったり(情動) 競合の資金調達の知らせを聞いて焦りが生じ(感情) 呼吸が浅くなったりした(情動) 経験はないでしょうか。

もしくは、 顧客から感謝の言葉をもらい嬉しくなって(感情) 胸が高鳴った(情動) 経験は?

このように、多様な情報に対して人間の情動は常に動いています。その時に、湧き上がってくる喜怒哀楽を味わうことは大事ですが、その感情のままに意思決定をしていては、なりたい姿に照らした学習には繋がりません。

大切なのは、情動を感じたままにアクションせず、その場で立ち止まり、情動を再解釈する余地がないか客観的に捉えることです。なぜその感情が湧いてくるのか、自分自身は情報をどう解釈したのかといった自我の構造を理解すること。その上で、自分が将来的になりたい姿に照らし合わせ、現状との差分を埋めることに気づきを活用しアクションを打っていくことが学習といえます。このように、社会と共創する熟達においては、過去の学習習慣ではなくなりたい姿に照らした意思決定と実践が行えるようになる学習が必要だと考えています。

4. 情動とは、心臓がドキドキする、汗が出る、体温が上がるといった身体反応を指し、感情とは区別しています。人間は、情動を感じ、そこに過去の経験から意味づけをしています。そして、それを解釈したものが「感情」です。詳細は、第4章の初期学習実践をご覧ください。

第4節:社会と共創する熟達の実践

では、具体的に社会と共創する熟達はどのように歩んでいくのでしょうか。私たちは二つの取り組みを通して熟達をスタートできると考えています。

1つ目はファウンデーションデザインです。ファウンデーションデザインとは、自分のらしさを見つけ、それに照らしたなりたい姿(ライフミッション)、実践フィールド(マスタリーテーマ)を紡ぎ出すプログラムです。このプログラムは、第1部で説明をしてきた環境との相互作用が過去から現在に至るまでにどのような変遷を辿っているのかを丁寧に探り、将来の社会の変化を捉えながら、自分の将来ありたい姿を紡ぎ出す取り組みともいえます。

2つ目は初期学習実践です。初期学習実践とは、自分の過去の学習習慣による意思決定ではなく、ファウンデーションデザインで紡ぎ出したなりたい姿に照らした意思決定を行えるように、経験学習サイクルを体得していくプログラムです。これはまさに第3節で説明した学習を実践するプログラムとも言えるでしょう。この2つの実践を通し、社会と共創する熟達を歩み始めることができると私たちは考えています。

これら2つの具体的な実践内容について、第2部にて紹介します。そして、第3部では、Reapra構成員における、社会と共創する熟達の実践と葛藤を前半に、投資先起業家における具体的な社会と共創する熟達の事例を後半に紹介します。


第1部を読んでいただきありがとうございました!自分の理解度や疑問点の整理ができるアンケートをご用意しておりますので、よろしければお使いください。 メールでのフィードバックは book-feedback@reapra.sg まで。

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